旅の日記です 6

しかし財布が見つかった途端に私は図々しくなった。


札幌駅まで取りに行かなければならないのは不親切ではないか。


途中の駅で下り列車の車掌に預けて届けてくれないかと思いました。


たとえ最速の時間でそれが行われても、すでに根室本線と富良野線に乗るのは無理になっていましたが、いまから札幌まで行ってまた旭川に戻ってくるのは、いかにも無駄足です。


今回の場合、私はただの旅行者だからかまわないのかもしれないが、出張の場合や急を要する人であればどうするのかと思います。


だが駅員は、それはできないと言いました。


中身は大金の入った財布であるから小荷物のように扱うわけにはいかないといいます。


また札幌駅できちんと私の財布であるかを確認してから渡す必要があるそうです。


なぜそこまで被害者である私が疑わなければならないのかとも思いましたが、考えてみると私は加害者でもあったわけです。


財布を落としたのは私の過失であり失態でした。


JR側には何の責任もないのです。


それでも親切に探してくれて、ちゃんと保管して届けてくれるのです。


感謝こそすれ文句をいえる筋など全くないのでした(´・ω・`)

旅の日記です 5

旅行の後半にさしかかり、もし財布が見つからなかったらどうなるのか。


財布には全財産のほとんどが入っています。


いま私が持っている小銭入れには1000円ちょっとしか残っていない。


旅行を中断して家に帰るのも危うい。


警察かどこかでお金を借りることになるのだろうが、それも悲惨です。


私は消えてなくなりたい気持ちになりました。


すると駅事務所の電話が鳴った。


一瞬、体が硬直した。


駅員が応答している途中に「あった?」という言葉が聞こえた。


私は硬直した体が溶解していくのを感じた。


財布はあったそうです。


椅子の下に落ちていたのです。


「利尻」の車掌が管理して札幌駅で届けるといいます。


とにかくひとまず安心しました。

旅の日記です 4

私は駅員に事情を話して、「利尻」に連絡が取れないかどうか尋ねました。


列車はもうすぐ砂川に着きます。


砂川の駅に連絡すれば何とかなると思いました。


座っていた席もはっきりわかっているし、乗客も少なく、まだみんな寝ていました。


財布は絶対に椅子の上にあると思いました。


名状しがたい数分間でした。


見つからないのでしょうか。


そんなはずはない。


確かに列車内にあるはずだ。


誰か不届き者がネコババを決め込んでいるのであろうか。


それとも親切な人が見つけて、札幌駅で届けようとして保管しているのか。


そして考えは恐ろしいところへ続いていきます。

旅の日記です 3

改札を出て、駅前にコンビニエンスストアや早起きの喫茶店がないかと思いました。


できれば朝食をとりたかったし、昼食用の食料なども仕入れておきたかった。


時間はあるし慌てることはないので、まず電話で天気予報を聞いてみることにしました。


カードを使うために財布を取り出そうとしたら、それはズボンの後ろポケットになかった。


一瞬ゾッとして、ズボンの前ポケットやジャケットのポケットなどを探りまくったのですが、あるわけがない。


列車内に落としてきたに違いありません。


私はそう直感しました。


列車を降りてからなら、落とした時に気がつくはずです。


それに列車の中で座っていて、ズボンの後ろポケットが浅くて、尻を動かすとすぐにカードケースが出てくるのが気になっていたのです。


降りる時に慌てたのもまずかったのです。

明るさとユーモアを感じさせるもの

「君知るや」とは、よくいったものだが、これは、その頃歌われていた「君よ知るや、南の国・・・・・」を引いたものでしょう。


あたかも、南国の空を思わせるような、明るさとユーモアを感じさせるキャッチフレーズです。


この年はまた、同種商品のの広告に、


「ガスが出なくても薪や炭がなくても電熱だけは豊富です」(日立の電気コンロ)


「八千万人の粉食解決の鍵!電気パン焼燈」(大和電気工業)


・・・などが出ました。


停電こそ多かったものの、電力だけはなんとか使える状態だったことがうかがえます。

旅の日記です 2

旭川から旭岳温泉へ行くバスは9時発で、「利尻」を旭川で降りてしまうと時間を持てあます。


そこで、滝川で「利尻」を降りて、根室本線下り一番列車で富良野にでて、さらに富良野線に乗って旭川に向かうことにしたのです。


我ながら、なかなかの妙案です。


そしていい天気です。


今日一日が期待できそうでした。


いっぺんに目も覚めました。


根室本線下り始発列車の上厚内行は5時47分発で、まだ1時間以上の時間があります。


私はいったん改札を出ました。

旅の日記です 1

北海道旅行をしました。


旭川で目が覚めました。


ここで17分停車する。


ホームへ出て前のほうへまわってみると、増結作業を行っていました。


旭川から滝川までは50分で着きます。


もう熟睡はできないが、足を伸ばして横になりながら朦朧としていました。


外は晴れていたが霧が出ていました。


滝川に着きました。


ウトウトしていてあやうく乗り過ごすところでした。


停車時間は1分しかありません。


私は慌てて列車を降りました。


滝川で降りたのは、根室本線の下り列車に乗って富良野まで行くためです。

懐かしい!その5

当時から大人気だった鬼太郎は、鬼太郎は、子供ばかりでなく大人の視聴者のニーズにもこたえ、広い層の支持を得ました。


鬼太郎の声を演じた野沢雅子は「いくらかハスキーで低い、女っぽくないわたしの声がピッタリだったんでしょう。


あのころ鬼太郎と同じような髪形をしていたんで、ますますそっくりだなんていわれました。


また、私の趣味はお寺やお墓をぶらっと歩いてみること。


これも偶然の一致でした。


美空ひばりさんがこの番組は欠かさず見ているという話を聞きました」と語り、その後専門の声優になったという。


担当だったフジテレビの別所孝治副部長は「都市の周辺が宅地化し、次々に古いものが壊され、お寺やお宮の周りがみんな住宅になった。


古いものに魂があるという日本的な考えがあり、民話へのあこがれもあって人気が出たのだろう」と説明、日本昔話の原型を見いだしていました。

懐かしい!その4

今回も鬼太郎(^o^)ノ


斎藤氏は当時を思い出しながら、次のように語ったそうです。


「変わった作品なので、アニメにして当たるかどうか不安だった。


内容は社会風刺もあって、不気味でもあった。


だが、52%前後の高視聴率をあげてヒットしたのは、まず主人公のキャラクターがユニークだったからでしょう。


超能力を持ったスーパーマンなのだが、詰めエリの学生服を着ていて決してカッコよくないかわりに親近感がある。


また、目玉のお父さんは"ヌエ"的で、怖さのなかにユーモアがある。


ネズミおとこは、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、天衣無縫なところがあった。


こうしたキャラクターがあのころの閉塞(へいそく)した社会の人間の心理に受けたのだと思う」


公害がそちこちに起こり、解決できそうもないストレスがたまるばかり。


そんなどうしようもない不満や不安を、ブラウン管の中ではあるが見事に解消してくれた。

懐かしい!その3

鬼太郎ファンでなければ知られていない事だと思うのですが(私は知りませんでした)、昭和40年『少年マガジン』に連載した水木しげる作「墓場の鬼太郎」が、「ゲゲゲの鬼太郎」の原作であり、テレビでは「墓場」というのは不適当だということで水木氏自身が歌詞の中にある「ゲ・ゲ・ゲ」をそのかわりに用いたそうです。


そして、42年10月から雑誌の方も題名もテレビと同じものに変えた。


当時、講談社の『少年マガジン』編集長だった内田勝氏は、単行本にしても売れ行きのいい「墓場の鬼太郎」のテレビ化を考え、東映動画の斎藤侑(たすく)氏のところに、この企画を持ち込んだ。